会話を円滑にするには、相手を理解するプロセスが必要

-1 今日は割と濃ゆめに一日を過ごしていました。午前中から講義に出て、細かい作業をこなしつつ、友人と談笑し、デバイスドライバの実装をさくっと終わらせて、家に帰ってクッキーを食べながらパターン認識の勉強、そしてブログを書く、と。このリズムで毎日が過ごせたら・・、なんてね。全く嘆かわしい。


 お久しぶりです(良かった。3 日坊主にならなくて)。
 最近考えているのは、僕は人に話すときに、かなり主観を交えているという事。初めての人でも、外見や言葉遣いで、「ああ、この人はこういう人なんだな」なんて決めつけてしまう癖があります。もちろん、僕自身今まで誰とも話さず生きてきた訳ではないので、性格に関する知識はいくらか蓄積されているはずです。ですから、外見や言葉遣いからざっくばらんに性格を類推するアプローチが、間違っているとは思いません。


 でも、それって平均と分散の関係と同じ。


 つまり、「大体この人はこういう人だろう」という割と尤もらしい性格はあっても、真の性格は非常に広い不確定要素の中に存在しているはずです。ですから、コミュニケーションのプロセスを経て、相手がどういった人間なのか(何が好きで、どういった生活をしているのかなど)を探る、理解することが必要になってくるわけで。


 さて、そうすると、もっとも努力が必要なのは、コミュニケーションの初期のフェーズとなります。ここでは、相手にとって考えうる複数の性格を仮定した上で、それぞれに最適なアプローチを取らなければならない。たとえば、カラオケが好きな人でも、歌がうまい人が好きなのか、歌を聴いてくれる人が好きなのかなど、いろいろありますよね。相手がもし後者だった場合に、歌がうまくなければいけない!と独りよがりになっていると、不本意にも「自分ばかり歌っているひどい人」というレッテルを張られかねません。


 以上のことから、どんな人間に対しても理解と接近のプロセスを同時に行っていくというのが、会話を円滑にする良い方法なのではないかと、最近は考えています。