教師の鏡

教師の言うことを聞かない生徒が増えていると聞く。教師の生徒に対する躾は、単なる論理の押し付けでしかないのであるが、それが正当と認知されているのは、恐らく年齢が高い人間のほうが優れているという社会的な見解からであろう。この見解が間違っているとは思わないが、生徒の立場で考えると、状況は少し変わってくる。
生徒は教師のほうが優れていることを知るすべがないのである。生徒は生徒のみのコミュニティに所属しているわけだから、これは当然の事実である。自分より優れてもいない(と考えている)人間に論理を押し付けられるのは、言うまでもなく不快でしかない。
それでは、教師はいかにして生徒を躾けるべきか。答えは簡単だ。相手の論理の矛盾を指摘すればよい。通常のディベートでも使われている手法を用いて、生徒と対等に接すればよいのだ。教師は一切自分の意見を隠し、生徒から意見を引き出す。あとは引き出した意見を組み合わせ、矛盾点を根拠に上げてから自分の意見を述べるわけである。
とはいえ、そうできる教師も多くはないと思う。中途半端な論理を語るのではなく、自身の無矛盾な論理を確立できる人物こそが、教師の鏡と呼べるのではないだろうか。