今日で、私が吹奏楽部を抜けてから一年になる。振り返れば、私が楽器を吹いていた時間は、非常に貴重だったと思う。今でこそ、心から望んだ情報理論の研究に明け暮れる毎日を過ごしているものの、当時はそれを我慢してまで、楽器を吹き続けたものだ。
そうしていたことの意味など、考えてもいなかった。むしろ、将来なりたいことへの努力を押し殺してまで吹奏楽を続けていても、ナンセンスだと考えていた。
しかし、今は実感している。私が吹奏楽部にいた時間は、決して無意味ではなかった。
今の私は、可能な全ての時間を研究に注ぎ込んでいる。これまで見えなかった新しい知識と世界が、次々と流れ込んでくる。そう、これこそ正に、自分が望んだ世界。の、はずだった。
私はこの生活を手に入れるために、あらゆるものを捨て、裏切ってきたのだ。そのツケが回って来たのだろうか。自分が望んだことなのに、何かが足りない毎日。これが本当に心から望んだ生活なのかを、今は疑っている。捨てたものこそ自分に必要だったと気づいたときには、もう、手遅れだった。
なぜ、好きなものを我慢してまで楽器を吹いていたのか。答えは吹奏楽が好きだったからだ。楽器を吹くことで、自分の快感が満たされていたからだ。吹奏楽が私の幸せの象徴だったからだ。ただ、それでも私はあの吹奏楽部に戻るつもりはない。一度した決心を撤回してまで捨てたものを取り返すのは、それまで私に関わった人達を裏切ることになるからだ。
時間は矢の如く流れる。「もう戻れない生活」はたくさんある。今当時に戻れば、私は最適な判断をしたに違いない。今当時に戻れれば、なんと幸せなことか。しかし、その生活を捨てたことが失敗ではない。その生活の幸せを、真に心から感じなかったことが失敗なのだ。
今の生活も、自分が望んだものであるだけに、とても好きだ。ただ、これも「もう戻れない生活」にしてしまいそうで、自分はとても恐い。まずは今の幸せを知る努力をしよう。もう、こんな失敗を二度と繰り返さないためにも。