なんとなくってこと

いきなり友達に、
 『オマエってなんとなく生きてるよな。』
と言われた。そこで朕は言い返した。
 『じゃ、なんとなくってナニよ?』
朕的になんとなくの定義をすると、「自ら規則を決めない」って事だと思う。つまり、しっかりの対義語だ。朕の友達は、この言葉を、見事に批判的に使ってしまった。ホントに、しっかりしないのは悪いことなんですか?
いつもしっかりしてるとストレスが溜まる。そこで時々なんとなくしようとすると、自分の中にある規則が壊れて、それ自体規則として意味を成さないから、つまりはしっかりしなくなる。一瞬の気の緩みが今までしてたしっかりを台無しにしてしまうわけだ。しっかりするひとはそれがイヤでなんとなくを嫌う。だから、朕を批判したのだ。ぁぁ、なんとなく生きてますとも。朕はストレスを一番憎む。ストレスと言う心的現象のために、人は酒を飲んだりタバコを吸ったりして五体を壊す。傍観者はそれを意志が弱いと批判する。そんな議論になる前に、ストレスを溜め込まないのが一番良い。そうすれば、例え意思が弱くても、それがバレない。そこで、朕はなんとなく生きている。ストレスを溜めない。あえて自分を縛り付けない。
でも、それじゃ成長しないんだよね。だから、時々しっかりする。時々しっかりしたって、さっきみたいに朕がしっかり者になるわけじゃない。朕はずっとなんとなく者だ。だから、ストレスだってたまらない。一石二鳥じゃん。友達に、今度もう一度同じことを言われたら、言ってやりたい。