いかなる事象に関しても、感覚的な理解と本質的な理解は区別されねばならない。
例えば、文学作品。その技巧ゆえに大衆は納得を得るが、その大半は秘められた深みを知らない人間である。高校過程を修了した人間であれば、国語の教科書を一通り読んだ後、教師の解説を聞いて初めて「なるほど」と感じた経験があると思う。どれがどちらに該当するかは、書かずとも分かるであろう。
感覚的であってもそこそこ楽しむことは可能であるが、一歩先に進むには、本質的な理解が必要不可欠である。いかなる事象を学ぶに関しても、どこかづまずきを感じたのであれば、それは一歩前のプロセスにおいて本質的な理解が足りていない可能性が高い。