まとめ

ついに結論が出た。この日記をプライベートモードにし、私は自分と約2ヶ月、向き合い続けた。ようやく到達した終止点に、私はなお驚きを隠せずにいる。
何をしても楽しくない。毎日が楽しくないとは、即ち人生が楽しくないということである。しかし、原因は既に知っている。膨らみすぎたプライド、それだ。
私は高専に入学してから、「プライド」という盾で身を固めるようになってしまった。自分の価値を、自分の中で高めることで、私は幸福感を得ていたのである。
最近、それではいけない。そう感じるようになった。自分の中で悟ったというよりは、むしろ周りを取り巻く環境が、そう教えてくれたように思える。
気づけば、私はプライドの固まりになってしまった。文部科学大臣奨励賞受賞、輝かしい成績、誰もがうなるプログラミングの腕…。キャッチフレーズだけが、私の上に積み重なっていった。そして期待が高まれば、私はさらなるキャッチフレーズを増やすように努力した。
先輩の助言、友達の話し声、身近な人間の優しさ…。心を満たしてくれるものはたくさんあったが、私はわき目も触れず走り続けた。いつの間にか、周りは全く見えなくなってしまっていた。自分のしていたことが逆効果であると気づいたのは、ここ最近である。人間関係におけるささやかな失敗の連続。溜め込んだひずみが、いたるところで反発を始めだした。
プライドを高めることに、一体何の意味があったのか。そう、自分は結局、周りに認めてもらいたかっただけなのである。しかし、「認めてもらう」ということは、そう簡単ではない。いくらプライドを高めたところで、自分の価値を知っているのは、自分だけなのであるから。
所詮は、踏めば死ぬ弱い人間。ひしめく人々の中の、一人の人間なのである。まずは他人の価値を認める。そうした上で自分はどこが無力か知らなければ、周りから見て価値のある人間などに、なれるはずはないのだ。