報われない努力は、努力とは呼ばない。
「努力をすれば、必ず見てくれる人がいる。」という言葉がある。しかしこれは努力が報われた結果を知るすべのない人にかける言葉であって、本当に報われない人に関しては全く無力である。なぜなら、実際誰にも見てもらえない場合だってあるからだ。
この種の問題は、しばしば対人関係において頻繁に発生する。例えば、親が子を育てる場合について考えてみよう。仮に、子供がグレて親のやることなすことに一生反対し続ければ、例えそれが親の精一杯の努力であっても、全くの無駄に過ぎない。この種のケースは、子の気持ちを知らない親の側に問題があるといっても過言ではないだろう。
子の気持ちを知らない親の姿というのは、外部から見ても非常に惨めなものである。故に、この親の行為を努力と思っているものはただ一人、本人のみとなる。そうなってしまえば、それは単なる独りよがりという言葉で置き換えられるのである。
努力というファストフード的な言葉があるからこそ、人間は単にがんばれば良いといういかにも短絡的な発想になりがちである。しかし努力の元となる目的意識に基づいて、できるだけハイリターンな方法を考えることこそ、真の努力であると私は考えている。