新年を迎えて真っ先に考えたこと

大人、即ち世間一般に「大人」と称される人間は、誰しも何かしらの借金を抱えている。
借金をするには、まず必ず保証人を要する。もし借金をした人間が逃げ出した場合、全ての責任は保証人に降りかかるわけである。しかし、この借金のシステムは、何もお金に限ったことではない。そこには、美しい一般性が成り立っているのである。
先に述べた意味合いから、借金をすることと保証人を取ることというのは同義であると考えられる。そして大人には、必ず保証人あるいはそれ同等の人間が存在している。配偶者であれ子供であれ、恩師であれ後輩であれ、これらは第一者が逃げ出した際、真っ先に責任を被る人々である。
世の中というのは、人間に対して非常に甘くできている。逃げることなどたやすい。現在の社会生活を全て放り出して、アパートで独りひっそりとネットサーフィンに明け暮れるも良し、中途半端に派手な事件を起こして刑務所で暮らすも良し、あるいは自ら手首を切って天使たちに迎えられるも良しである。しかし、そういった手段がありながらなぜ実行をしないか。それは、彼が大人だからである。彼は借金を抱えているからなのである。
挙げた例は、自分が子供の頃に思い描いていたことであったが、こうして年齢が高くなるにつれてする気がなくなっていった。むしろ、できないような状況であると世の中を感じてしまっていったというべきなのであろうか。実行さえしてしまえば相当楽である。楽ならばする他ない。しかし、いざ自分がそうした際、保証人はどうなるだろうか。「そんな無責任なことはできない。」保証人を持つということは、借金を抱えるということは、大人になるということは、つまりはそういうことなのである。
そう、結局、もう逃げられない。