運転中にケータイが使えなくなるそうです

yahoo!ニュースから引用

 警察庁は26日、駐車違反取り締まり制度の抜本的見直しや、自動車運転免許区分の大幅な変更を柱とする「道交法改正試案」をまとめた。運転中の携帯電話使用は交通の危険を生じさせなくても罰金の対象とし、暴走族や飲酒運転対策の強化、高速道路のオートバイ二人乗りの条件付き解禁なども盛り込んだ。
 警察庁は「これだけ大きな改正は、過去あまり例がない」としている。27日から1月23日までの間、国民の意見を募った上で正式に法案を作成、来年の通常国会に提出する方針。
 試案によると、違法駐車対策は、運転者が出頭しないなど駐車違反をした本人の責任が追及できない場合、車両の「使用者」に行政制裁金(違反金)を課す制度を新たに導入する。(共同通信

まず、自動車は走る凶器だと思う。車が一般化されない世の中はどんなに素晴らしいものなのだろう。信号待ちとかもないし。みんな自転車とか電車に乗ればいいんだよ。というのが朕の意見だけど、人々が自動車に乗るのはそれなりの理由があるからなんだよね。個人のカーライフとか、彼女との時間とか。「移動する個人空間」て言うと、自動車にしかないない取り得だから、人々はそれを求めて自動車に乗るんじゃないかな。と思う。とは言っても、珍走団とか、酔っ払いとか、一部のマナーの守れない人々のおかげで法律ができちゃってるわけで、みんながマナーの守れる運転ができれば、そんな法律は必要ないわけ。じゃ、マナーってナニよ?てのが道交法。ホントはマナーって言うのは個人のモラルだから、こういう公的に統一するのは良くないわけだけど、自動車は走る凶器で、人を簡単に殺傷できる代物だから、「こうすれば人を傷つけることはないですよ。」ってのを国がいちいち決めなくちゃいけないわけ(だから自動車なんてのはないのが一番良いと思うんだけどね)。
その道交法が改正されたって言うのは、つまり「こうすれば人を傷つけることはないですよ。」って言うのがどこかで間違ってたわけで、「やっぱりこうでした。」って国が謝っているようにもとれないことはない。変えたってことは、つまり以前の法律じゃ防ぎきなかった事件、即ち実害が出ちゃってるわけだから、実害が出る前にどうして今の道交法になっていなかったのか。まぁ、この議論は帰納的にきりがないから、ここら辺で打ち切りにしときましょ。
yahoo!じゃケータイが使えないことを大々的に言いたいわけだけど、(朕も見出しでそうしてるけど、)朕が一番気になったのが、飲酒運転対策の強化。確か飲酒運転は、吐いた息に含まれる二酸化炭素濃度の基準値があって、息が基準値以上なら。っていう風にしているみたいで、今回はその基準値が下げられたらしいけど、恐らくここは冷静に決めちゃっててるんだろうね。例えば、朕の友人談では、ビール一本飲んだくらいじゃ検査やっても引っかからなかったらしいから、おいおいそれじゃ法律の意味ないだろ。って思ってたんだけど、それは国がここからが飲酒っていう境界線がまだわからないで、事実に基づいて決めちゃってるからいけないんだろうな。
昔も今もこれから先も、法律で人の心を縛り付けるのは無理。いくら道交法で決めても、潜り抜けて酒を飲んだり暴走する人がいるわけだから、何か法律以外の対策をするのがそろそろベター。でもそんなことはみんな気づいてるわけで、その「法律以外の対策」っていうのがまだ見つかってないから、まだ人は法律に頼りたがるんだよねぇ。
あ、かなり話し飛ぶけどさ、最近のケータイに関する罰則はかなり多くなってきてるね。今日のこのニュースだって氷山の一角で、ホントは罰則だけで本が書けそうなな勢い。例えば全国のほとんどの高校・大学では、テスト中のケータイ使用は退学に値する行為とされてるし、電車の中では電話もできないし。バスじゃメールすら禁止してる会社があるっていうから驚き。ケータイも車と同じで、マナーが守れないなら発明なんてされなきゃ良かったんだろうけど、今は便利さっていうのが一番に来るべきで、そうしないと世の中はいつまでたっても滞ったままだから、ケータイの発明は恐らく摂理だったんだろうね。で、これからマナーについて語りだすと道交法の二番煎じになるから話さないとして、別な話題に。
ケータイが普及しだすとより発色してくるのが、使わない派。使わない派はいろいろ意見を持ってていいよ。聞いててやはり一番多いのが、料金のこと。朕はケータイはサービスだから、楽したいなら金を払うべきだと思ってるから、朕の網膜には、使わない派はあえて楽をせずにしっかりしっかりやってる人として映る。